見直されている叱らない育児法
一昔前は、悪さをしたらこっぴどく叱られたり
言うことを聞かなければ親は厳しく怒鳴りつけたり
叱って正す育児の時代がありました。
体罰に関しても、愛のムチだと昔は許されましたが
現代となっては絶対に許されない教育法のひとつになっております。
そんな中、叱らない育児について世間では賛否評論あるようで
賛成派、反対派に分かれているようです。
では「叱らない育児」とはどのようなものなのでしょうか?
叱らない育児だからといって、100%叱らないワケではない!
まず「叱らない育児」とは、なにをしても叱らないワケではなく
危険
社会のルール
このふたつを教えるためには、親は子供を叱る責任があると思っております。
赤信号になったら止まりなさい。もし子供が止まらなかったら
なぜ止まらなければならないのかを説明しなければならない。
もしふざけて親の言うことを聞かないのなら、ちゃんと叱らなければ危険です。
そして社会にはルールがあって成り立っている。
子供はよくわからないかもしれないが、人間は地球上で共同生活をしている。
だから、みんなで決めたそのルールに従わなければならない。
他人に迷惑をかけたのならば、説明したり、時には叱ることも必要だろう。
ここをふまえて考えてみよう。
叱らない育児とはなにか?
子供に対して押さえつけた教育をするのではなく
自分で考えさせるような自主性を磨かせる育児をするということ。
ちょっと語弊があるかもしれませんが
言い変えると、「放っておく育児」ということかもしれません。
例えば、子供が幼稚園に行く時間になってもまたおもちゃあそびを止めないとする。
ご飯も途中で、園服にもまだ着替えていない。
この状態で親はどうするかというと、たいていの親は
「早くしなさい!!」と叱り飛ばすと思います。
それは遅刻しないように、子供のためを思って叱っていることかもしれません。
でも実は、それは甘やかしてる教育に過ぎないんですよね。
そこで叱って幼稚園に間に合ったとしても何も解決していないのです。
叱らない育児(=自主性を磨かせる)の場合は、叱らず放っておきます。
すると、気が済むまでおもちゃで遊びますが、子供はふと遊びに飽きて
「ママ~、幼稚園に行くー」と言い出すと思います。
もう遅刻ではありますが、叱らずにそのまま幼稚園に連れて行きます。
すると子供は遅れてきた自分は、まわりのみんなについていけません。
そこではじめて嫌な思いを感じるわけです。
遅刻がどんなに嫌なことか身をもって知ります。
さらには、朝食をしっかり食べなかったのでお腹がすいてしまい
辛い思いをします。ご飯をしっかり食べなかったことを後悔します。
このような経験をして、はじめて子供は自分から行動しようと変わっていくのです。
今度は自分から遅刻はしたくないという感情が芽生えてきて
朝、しっかり用意をするようになるのです。しっかり朝食も食べるようになるのです。
用意をしないからその場で叱るという行為は、その場しのぎをしただけで
実はなんにも解決していないのです。
もちろん遅刻させるのは良くないですし
幼稚園の先生からも親が注意される場合もあるかもしれません。
ですが、今ここを学ばせていかないと、この先はもっと大変な時期がやってきます。
小中高とさらには社会人になった時に学ぶのでは到底遅いので
ちょっと酷かもしれませんが、叱って手前で防いでその場をやり過ごすより
叱らずに自分で苦労する道をあえて歩ませて、自分で考えさせるという育児。
これがわたしの考える、自主性を磨くための見守る教育=「叱らない育児」です。